- 2011年3月11日午後2時46分 M9.0の巨大地震、その後南北約500km に及ぶ巨大津波、帰宅後、テレビから放映されるシーン、翌日の福島原子力発電所の事故!!私は大きな衝撃を心に受けました。 “東北はどうなるのだろうか?福島はどうなるのだろうか?”小さい時からロザリオが好きだった私は、困難に会う時、ロザリオを手にしてマリア様の取り次ぎを願う子どもでした。その日もロザリオの珠を紡ぎながら、「すべての人の母である聖母マリア様、苦しみの中にある人々、亡くなれた人々、行方不明の人々・・・・・・お守りください。」と祈り続けました。
- 「神様のお望みでしたら、どうぞこの小さき私をお使いください。」と願いつつ、8月9日~13日まで釜石ベースセンターでのボランティアに加わることが実現しました。8月9日福岡空港から羽田空港に着き、東京駅から東北新幹線で花巻駅に到着、その後釜石線に乗り換え釜石駅に向かいました。私の思い、心は“私は現実とどう向き合う事が出来るだろうか?不安な気持ちが入り混じっていました。「神様、どうぞこのありのままの私をお受けください。あなたのお望みの内に導き強めてくださいますように。」と祈りながら、釜石駅に降りました。
- <現地までの行程>
福岡~東京・羽田~東北新幹線・新花巻駅~JR釜石線・釜石駅
<訪問地>
岩手県釜石市~岩手県上閉伊郡大槌町~岩手県陸前高田市
- 釜石駅に降りて、最初に思ったのは“埃の臭い”でした。この“埃の臭い”はどこからくるのだろうか?そして私はタクシーに乗りました。釜石ベースセンターに向かう道路、家、商店街は人気もなく、津波の爪痕が残る光景でした。そこには埃の臭いが漂っていたのです。最初に見た津波の爪痕でした。
- 翌日に見た陸前高田市。地盤沈下により市街であった場所が海になっている陸前高田市の光景が目に入った時、言葉がでませんでした。 滞在中に出会った人々から「黒い波が押し寄せ、今まで聞いたことのない轟音が襲いかかり逃げるのに必死だった。後ろをみたら死ぬと思った。何も持たずに山に逃げた。怖かった。」「今まで住んでいた町に無残な残骸、そしてたくさん遺体が浮かんでいた。知り合いも亡くなった。これからどうなるのだろうか?」「私の家は被害がなかった。隣の家まで津波が襲いかかった。お互い助け合って復興していかなければと思っている。」とぼつぼつと心の内を語ってくださいました。
- 心の奥にある悲しみ、不安、苦しみ、恐怖感、罪悪感がひしひしと伝わってくるのです。私の手の中には小さなロザリオを。そしてマリア様の取り次ぎを願いながら。
- 死者1万5850人、行方不明3281人(2月15日現在、警察庁まとめ)、避難者34万2509人(2月9日現在、復興庁まとめ)。未曾有の被害状況の震災、福島原子力発電の事故。
- ある11月中旬、朝の祈りの中で東日本の方々、出会った人々の事が強く浮かんできました。その日の午前中、“福岡から被災地へSmileAgainの合唱で復興支援を”という新聞の見出しを幼稚園事務室で見たのがきっかけとなり、Smile Againの合唱団に参加することができました。
- 「大笑いできるその日まで、先は長い道のりだけども。」「有難うございます。私たちの事を忘れないでください。」と思いを話してくれた釜石の人々。「忘れません、遠く離れても祈り続けます。有難うございました。また来ます。」 “Smile Again”の歌詞の中に、Smile Again祈りは海を越え、願いは風に乗り、夢を忘れないで、愛は時を渡る祈りは海を越え,繋がっていくのです。そこにも人と人の絆の力が伝わってくるのです。これからも祈り続けます。そして祈りの中で神様が示してくださる道に「はい」と答える力を願いながら。