ローマで行われた
バレ神父様の列福式

幼きイエス会創立者

福者 ニコラ・バレ


● 雙葉学園の設立母体である「幼きイエス会」の
創立者ニコラ・バレ神父様が、1999年3月7日、教
皇ヨハネ・パウロU世によって福者に列せられまし
た。
 この福者というのは「聖人」に次ぐもので、その生
涯が神様のみ旨にそったものであったと認めれた
方に与えられるものです。

● バレ神父様が帰天されて300年あまりが過ぎ
た今、バレ神父様が福者に列せられたことは、現
代社会にバレ神父様の志が再び重要性がました
からとも考えられています。

● 300年余り前、神様の道を生きたバレ神父様
とは、どんな方だったのでしょうか。

バレ神父様の生涯と志


■ ニコラ・バレ神父様は1621年10月21
日北フランスのアミアンで生まれました。
司祭の道を志したバレ神父様は、厳格な規
律で知られるミニム会の修道院に入り、多
くの人の霊的な指導者として、人々の悩み
を聞き、神様への道を教え導いていました。

■ 1659年、バレ神父様はパリを離れ、ル
ーアンという町に派遣されました。
当時のフランスは戦争、飢餓、ペストの流
行など
「嘆いても、嘆ききれぬ不幸」(バレ師)
の中にあり、この町でも多くの子どもたちが
見捨てられた状態の中、苦しんでいました。
■ この様子を見たバレ神父
様は、この子どもたちのため
に何ができるか思い悩みま
した。

貧しくて食べ物や着るものが
ないことはもちろん不幸なこ
とだけど、心が満たされない
ことはもっと不幸なことでは
ないか。

人間は神様から創られ愛されていること、それに気付き神様への道を歩
み、心が満たされるようにしてあげることそれが大切なことではないか。


■ そう考えたバレ神父様は、子どもたちのために小さな学校を開きまし
た。その学校では、神様のことを教えるだけでなく、日々の生活に役立つ
読み書きや手仕事なども教え、生活の基本となることができるようにし、
神様への道を歩むことができるようにするものでした。
■ このバレ神父様の学校には、
すぐにすばらしい協力者があらわ
れました。バレ神父様と同じ望み
を持った若い女性たちが、このバ
レ神父様の「小さい学校」を手伝
うようになったのです。

■ やがて、あちらこちらに作られた「小さい学校」で働く女性たちに、
バレ神父様は一つの共同体として働かないかと呼びかけられました。
こうして1666年、「幼きイエス会」が誕生したのです。

■ 1675年、バレ神父様はパリに呼び戻されました。すると、ルーアン
での「小さい学校」の評判を聞いていたパリの人々からも、「パリにも同
じような学校を作ってほしい」と頼まれ、サン・モール通りに家を借りて、
シスターの養成所を作ることになりました。
■ バレ神父様は、自分の目で見、耳で聞いた
事に心を動かされ、自分にできる事を積極的に
行動に移していきました。
当時、教育を受けることは裕福な人だけのもの
でした。また、女性が人に教えることも考えられ
ない時代でした。しかし、バレ神父様は、人々の
ためにこれが必要だと考えると、大胆に創造的
に行動に移されたのです。
それが、人々の心の救いにつながるという信念
を持って!

■ 富める国と貧しい国との差が大きくなった現代。経済的には裕福に
なったものの、心は貧しいのではといわれる日本。300年前とは社会
の様子は変わったものの、「幼子を与えるほど、人間を愛しておられる
神様」の思いに気付き、一人ひとりが心の満足を得ることができる社会
を築き上げていくこと。それがバレ神父様の列福にこめられたメッセー
ジなのかもしれません。
(文責 福岡雙葉 鬼木)

● 参考資料 列福記念小冊子(幼きイエス会発行)
「神のはからいは限りなく」(幼きイエス会発行)
Sr杉田前幼きイエス会管区長講演(1999/5/31)
● 絵と写真 列福記念小冊子(幼きイエス会発行)

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